ミッドライフクライシス解消に向けてのオンラインカウンセリングルーム「KOKORO保健室」のブログへようこそー
こんにちは。当ブログを訪れてくださり、ありがとうございます。
私は、公認心理師の下地まいこと申します。オンラインカウンセリングルーム『KOKORO保健室』を運営しています。特に、30代後半から50代の女性が直面する心の揺らぎや人生の岐路に寄り添うことを得意としています。中でも「ミッドライフクライシス(中年期危機)」に特化したサポートを行っています。
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あなたは、40代を迎えてから、ふと「これから先、自分は何を目指して生きていけばいいんだろう」と思うことって、ありませんか?
例えば、子育てや仕事に追われていた日々が少し落ち着いて、やっと自分の時間が持てるようになったはずなのに、なんだか心が晴れない。
もしくは、やりたかったことに取り組んでいるはずなのに、どこか満たされない。
そんなモヤモヤ、誰にも話せずに、ひとりで抱えてしまうこともあるかもしれません。
これはきっと、ただの疲れや迷いじゃなくて
人生の折り返し地点で、多くの女性がぶつかる「心のゆらぎ」なのかもしれません。
今回の記事では、この“ゆらぎ”にヒントをくれた、ある哲学者の言葉を紹介しながら、
「目的のない時間」を過ごすことの大切さについて綴ってみたいと思います。
哲学者・キーラン・セティアの言葉
最近読んだ本の中で、MIT(マサチューセッツ工科大学)の哲学者、キーラン・セティアという方の、興味深い考え方が紹介されていました。
「生きてきた年月の蓄積は、可能性の逆進的な減少、失った選択肢への後悔、プロジェクトの完成や失敗、虚無感や閉塞感といった人生における一時的な特性を出現させる」
そして、中年の危機の原因は、「テリック・アクティビティ(目的重視の活動)」にあると彼は論じたそうなのです。
つまり、「目的(やり遂げること)を目指す生き方は素晴らしいけれど、そればかりになると、終わったあとにぽっかりと心に穴が開いてしまうんじゃない?」というわけです。
そういう経験、確かにありませんか?
ゴールがなくてもいい“アテリック・アクティビティ”
そこで、セティアはこう勧めています。
「未完のまま楽しむ時間、“アテリック(非目的型)”の活動をもっと大切にしよう!」と。
たとえば、こんなふうに過ごす時間—
目的も成果も特にないけれど、活動そのものが楽しく、なんだか気持ちが整うようなことですね。
🌱冷蔵庫の残りもので、思いつき料理をつくってみる
→ 味はまあまあだけど、「これ、意外とアリかも?」って瞬間がちょっと楽しい
🌱昔の塗り絵を引っ張り出して、無心で塗ってみる
→ はみ出しても、バランス悪くても、別に気にしない
🌱雑誌やチラシの切り抜きを、テーマもなく手帳にペタペタ貼る
→ ただ手を動かすだけなのに、不思議と頭がスッキリする
🌱誰にも会わない日、ちょっといい服を着て、メイクしてみる
→ 何かが変わるわけじゃないけど、自分のご機嫌はちょっと取れる気がする
🌱静かな夜に、青春時代のアルバムを開いてみる
→ 懐かしさで少し泣けてきて、でもそのあとすごく落ち着く
🌱字の練習でもなく、意味のある文章でもなく、そのとき頭に浮かんだ言葉をノートに書き連ねてみる
→ 何も整理されないけど、「今の自分」ってこういう感じなんだなと思える
🌱朝でも夜でも、ふと思いついたタイミングで、ふらっと散歩に出る
→ 特に何も考えずに歩いて、帰ってきたらちょっと呼吸が深くなってる気がする
目的のためじゃなく、“今ここ”を味わうための時間。
結果重視ではなく、プロセスそのものを楽しむ感覚です。
それは、何の役に立つの?って聞かれたら、うまく説明できないかもしれません。
でもその“意味のなさ”こそが、実は心を癒してくれることもあるんだと思うんです。
ちなみに筆者の場合は、
🌱空の色や湿度を感じながら、無言でベランダに立つ。
➡ ただ風を感じたり、鳥の声に気づいたりするだけ。
でもそういうときほど、深く呼吸してることに気がつきます。
🌱1人でサウナに入って、ただただ汗をかいて“整う”。
➡効果とかデトックス目的じゃなくても、「何も考えなくていい時間」自体が癒しになっています。
🌱白紙や手帳に、イラストを描く。
➡画力は幼稚園児なみです(😅)でも、無心になれるんです。
誰かに見せるわけでもなく(見せれない…)、上手く描こうともしていない。
そこには、何の目的もありません。
🌱図書館で、ぼーっと過ごす。
➡特に本を借りる目的がない日でも、定期的に足を運びます。
ただその場にいたいだけ。あの空間が好きなんだと思います。
旅の途中で立ち止まることも、悪くない
「中年期の心の揺らぎ」って、決してこれまでの生き方や頑張りを否定するものではありません。
むしろ、「よくここまでやってきたね」「本当に、がんばってきたよね」って、
自分自身にそっと声をかけてあげるタイミングなんじゃないかなと思うんです。
20代、30代、そして40代—
がむしゃらに、誰かのために、目標のために、必死で走ってきた人ほど、
ふと立ち止まったときに「次は、どこを目指せばいいんだろう」と戸惑うのも当然です。
でも、旅の途中で休憩したり、地図を見直したりすることは、間違いじゃありません。
目的が見えなくなったときこそ、一度“目的のない過ごし方”を、自分に許してみる。
理由もなくぼーっとする日をつくる。意味もなく散歩する。
なんとなく気になってたカフェに入って、ただのんびり過ごす。
それって、意外と難しいんです。
「せっかくの休みなのに」「何かしなきゃ」と思ってしまうから。
でも、“何もしないことに意味がある”って、ちゃんと自分に教えてあげてください。
筆者は実際、ご相談者さまにも「目的がなくても、有休を取ってくださいね~」とよくお伝えしています。
身体が疲れていないように見えても、心はいつの間にかすり減っていることがあります。
身体は元気そうでも、心の疲れって意外と見えないんですよね。
だからこそ、自分で、意識的に立ち止まる必要があります。
予定が何もない日。誰とも会わない日。何も達成しない日。
そんな日があるからこそ、また動き出せる力が湧いてくるんだと思います。
「ただ好きだから」で、いい。
セティアは言いました。
「中年の危機の解決や予防は『アテリック(未完)』を重視すること。
自分にとって重要な活動で、人生に意味を与えてくれるものは、目的を有しない活動でなければならない」
少し難しいけれど、
「ただ、その時間が好きだからやる」—それだけで十分なんだと思えたら、
人生ってもっと、軽やかになる気がしませんか?
終わりを急がなくていい。
答えを出さなくてもいい。
そんな時間が、これからの私たちに必要なのかもしれません。
だって人生って、ただゴール(死)を目指すんじゃなくて、その途中を楽しむものだから。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。